再登校事例

男子中学生MM君の再登校レポート Vol.2

できないのは甘えているから

おそらく多くの不登校のご家庭で、こういう事態が繰り広げられていると思われます。
よく読んでください。

自分の気持ちをわかってくれる人がいない、さぼっている、なまけている、遊んでばかりいるとしかみられない。家にいるのもつらい、という状態でした。
 
学校には行けなくても塾には行けていましたが、それも勉強のためというより、そこに来ている友達としゃべったりふざけたりして気持ちを紛らわせるのが一番だったようで、塾の方から授業態度について相談されてしまうくらいでした。
 
親のいうことをきいてくれることに、私が甘えてしまっていたというところがあったと思われます。自分の気持ちを主張することができなかったのでしょう。
 
私も疲れて仕事から帰ってきて、何でもないようなことで声を荒げてしまうこともあり、なおのこと自分のことを言うことができなかったようです。今ふりかえってみると、本当に悪いことをしたなあと反省しています。
 
勉強に関しても、できないことに関して、「どうしてできないのか」「では、どういう方法をとったらいいのか」と一緒に考えてやることもなく、ただ「やるべきことはちゃんとやりなさい」としか言えていませんでした。
 
自分たちの世代ではがんばることが当たり前のように言われていて、できないとか弱音をはくのは、心が弱いからだとか、甘えているからだといった考えでいたわけです。
 
そうやってこちら側の都合を押し付けるようでは物事は好転しないのですが、宿題ひとつやるにしたっていちいち親が一緒の机にすわってみてやらなければならないのか、なんでそんなことまでしなくちゃならないんだ、やることもちゃんとできないで、そんなんでどうやって生きていくというんだ、と思っていました。

解説

これをお読みくださっているすべての方へ。

こうして徐々に悪循環の罠にはまっていきます。

強制と強要、やる気を失う、自己責任論、自発的意志の欠如、
これらの区別がつかなくなり、頭がぐちゃぐちゃになり、考えることと言えば
「この子は弱い、やる気がない。今のうちに矯正しなければ」

これが自動思考です。

冷静に振り返って強制と強要、やる気を失う、自己責任論、自発的意志の欠如 、これらを解きほぐすのではなく、自動思考が始まります。
そして赤い声で子供を責め始めます。
そして子供を潰してしまいます。

あんなに輝いていた我が子から光が失われます。

親がここに気づかなければなりません。
我に返ってほしいのです。
「いったい自分は何をしていたんだ、子供を苦しめるだけじゃないか」
早く気づいてください。

MM君のお母さんは、割と早めに気づき、その状態から脱出しました。

「がんばることが当たり前、できないのは弱さであり甘えである」
裏返せば、「子供はがんばらなければならない」

一歩立ち止まって考えてみてください。

がんばることが本当にそんなに良いことでしょうか。
がんばれないのはホントに弱さでしょうか。
がんばれないのはホントに甘えでしょうか。
なぜがんばらなければならないのでしょうか。

がんばれない子がそれ以上に無理してがんばると、どうなりますか?
壊れませんか。

「子供はがんばらなければならない」
これも自分の頭で考えた思想ではなく、自分たちが育ってきた環境の価値観に洗脳されているだけです。

もうひとつ、親自身が気づかないモノに、「不安」があります。
自分の不安を消すために、子供にがんばることを強要します。
その姿を見ていないと不安なのです。
「子供の将来のため」ではありません。
実は「自分が不安だから」です。

これについてはいずれ書きましょう。