再登校事例

強いストレスと解離性障害による不登校 女子中学生SKさん Vol.10

学校に行けそうな気がする

(2010/8/5)
 
SKはふさぎこむわけでなく考え込んでいることが多くなり、「学校に行けそうな気がする」と言う日も多くなった。
 
調子がいいといろいろ挑戦しようとするので、(うまくいかず逆に)調子が悪くなることがある。このころからクラブの先生や生徒と連絡を取ろうとするようになる。
 
新井先生には記憶の中の細かい場面をTFTするように指導いただく。
 
幼稚園の頃SKのお金を盗った盗られたのお友達もさることながら、その親たちの対応がSKには理不尽に感じていたらしいこと、
 
習い事(ピアノ)の先生がSK以外の生徒さんの頭を叩いて「どうしてできないのか!」と怒鳴っているところとかを思い出し、母も知らなかったことなので驚く。
 
特に習い事の先生の記憶は、タッピングの度にのけぞるように大変苦しみながらやることに。習い始めて7年分。たいていはお腹の激痛になり、見ていてつらかった。
 
新井先生からのメールで、“精神症状が治まったら、まだ残っているストレスの記憶は身体症状として出やすい”などの性質があるらしいと聞く。

解説

この2010年8月ごろから、SKさんの精神症状はかなり治まりだしました。
SKさんが見せていた「登校時に失神する、昏睡する」は、精神医学で言う「特定不能の解離性障害」ではないか、と私は思います(医師の診断ではありません)。

この症状を呈する子供は、「汚くストレスフルな記憶を大量に」抱えてしまっています。
同じような症状をもった女子高校生の実例もいつかお出ししようか、どうしようか。

さて、SKさんは徐々に「強烈なトラウマ以外の細かいストレスフルな記憶」を、お母さんと一緒に除去し始めました。その数たるや、数百は軽くあったのではないかと思います。

ここに関しては当時の私にもまだ明確な考え(どのような記憶を当たればいいのか)がなく、苦労をおかけしてしまいました。

たびたびお母さんからご相談の電話を受け、どういう状況でどういう症状を起こしたのかをお伺いし、「SKさんの症状から類推すると、こういう失敗の記憶はないでしょうか?ああいうことに関して辛い思いをした記憶はないでしょうか?」などとお母さんを通じてSKさんに尋ねてもらいました。

すると、そういう場合必ずSKさんは「ある」と答え、しかも大量の記憶をしゃべり出すのでその記憶をお母さんが記録してまたタッピングしてもらう。

そういうやり方で進め始めました。

このあたりから徐々に、学校や習いモノ以外の、周囲の人間関係全般のストレスの記憶が出現しだしていたと思います。

そういった記憶に対しても私はできるだけシステマティックにやりたかったのですが、当時の私の知識ではなかなかそうも行かず、今から振り返ると少々場当たり的になってしまいました。