男子中学生MM君の再登校レポート Vol.6
親の説明が子供に「納得」をもたらす
このレポートが最重要です。
これを読めば、親の重要な役割がわかります。
これはもう、わたしでは説得できないと思い、当時別の班の引率をしていて、今も少年団のコーチをしている父親に話を聞いてもらうことにしました。
そして父親からは
「合宿のねらいは、完璧な計画をたてて失敗なく小旅行を終えることではなく、むしろあえて失敗させることで、それにどう対処していくかといった応用力をつけさせることだ。
今まで失敗した班がほぼなかったのは、事前に下見をしていたり、親がルートをきちんとチェックしてやり、失敗ないようにしていたからだ」
という説明がありました。
そして、MMの班はそういうことなく正々堂々と自分の力だけで勝負したが、よりにもよって、思ったことをそのまま感情的に口にするコーチたちがついてしまった。
確かに両コーチのその対応はいけない。しかし、コーチのドラフトのとき、自分(MM)が関わらず副班長にまかせてしまったんじゃなかったか?(注:MMはコーチ人選を他人任せにしただろ?という意味)
また、Yコーチも、『車道を通るのは危ないから、山道ルートに変更する』と、肝心のときにMMを説得できなかったことで、『なんのための引率だ』とMM以上に叱られたし、
Gコーチも、『事前にルートをチェックしていたのではないのか?山道だって、天気がよかったからいいものの、雨がふったりしたらかえって滑ったりして危険ではないか』と指摘されて、答えられなかったことなど、
MMの知らなかった事情の説明があったようです。
私はその場にいなかったので、話の内容のみで雰囲気まではわかりませんが、MMとしては両コーチと話し合いができたような感じだったのかもしれません。
気持ちの擦れ違いがあって、こじれてしまったけれど、MM自身も最後には意地になってしまってて、誰のいう事も聞けないような状態だったと認められるようになりました。
まあ、いいかと思えるようになってからは、合宿の記憶も、すんなり処理できました。自分にとってはなんでもない、いつまでも怒ってる必要もないことなんだ、と気持ちが切り替わったようです。
…
はじめのころは、追い詰められて自信をなくして、生きる希望も持てない状態だったのだということが理解できずに、単なる甘えや怠けとしか思えず、歯がゆい気持ちでしか彼をみることができなかったのですが、
手遅れになってしまうほど彼をとことん追い詰める前に、セラピーにめぐりあえて本当によかったと思います。
これからは、いわば再スタートを切る彼にとっての、もう少し認め上手なサポーターでありたいと思っています。
解説
これでMM君は再登校を始めました。
身体の症状は自然消滅したのです。
父コーチの罵倒の理由は、
「これは、親子サッカーの”大人チーム対子供チーム”のゲームで起きたことなのですが、
大人たちがばんばん点を取り、子供を小馬鹿にするような、まさに大人げないプレーをしたため、
(それに怒った)MMだけに限らずほかの子も、パスを渡さないで無理やり切り込んでいったりするようなプレイをしたため、父コーチがそういうセリフをはいたようです。
まあ、自分を棚に上げて、な発言ですから、そのことに関しては、詫びがあったそうです。」
ちょっ、お父さん、なんて大人げない(笑)。こういうことは、きちんと謝らなくてはなりません。
そして、肝心の合宿です。
お父さんが見事な説明をしてくれたのです。
「まず、引率コーチを指名するのを副班長にまかせてしまって、YさんとGさんになったのは、仕方がないだろう。
そして、バスが来なかったことなどで、コーチがMMに文句を言ったりするのは確かにおかしい。
合宿のねらいとしては、”子供の立てた予定に不備があったとしても、あえて失敗させることによって、それでどうするのか、といった応用力をつける”ということなのに、
コーチは口を出さないと決めたのだから、子供に文句を言ってはならないというのは、まったくもってその通りだ。
そうやってケチだけをつけるから、結果MMが頑なになってしまった。
そのせいで、『車道は危ないから別ルート(山道)を進むべき』、というコーチの判断となっても、頑ななMMを説得することができなかった。
そのことに関しては、2コーチとも反省会でつるし上げをくらったし、それ以外にも、
”山道を進んだとしても、天気だったからよかったものの、雨が降ってすべったりして、けが人が出たらどうするつもりだったのか”、と、コーチがつるし上げを食らうなど、危機管理については不備だらけだったといえる。
また、これまで失敗した例がほぼなかったのは、
実は親子で事前に下見をしていたり、親が計画をきっちり確認して、不備を事前に修正していたり、
といったいわばルール違反があったからだ。
監督はこれをおもしろく思ってなかったんだけれども、
『反対方向の電車に乗ってもとめずに、行くところまで行ってから引き返すなんてことして料金を精算しないなんて、それこそやってはいけないことだろう。そんなの大人側の勝手な自己満足にすぎない』
と、これまた反論されている。」
なんとすばらしい説明。
するとMM君の怒りが治まります。
「それまでMMは、”自分は悪くない”とひたすらかたくなで、何も受け入れる気はないといった状態だったのですが、”まあ、いっか、確かに自分も意地になってたわけだし”という気持ちになってきたんだそうです。」
これで、今まで全く点数の減らなかったトラウマの記憶が、一気に崩壊。
五感変容メソッドですべて鮮明度ゼロへ。
そして。
「そして、ありがたいことに、ここのところ体の症状もまったくでていません。学校にも行けています。
先生にはこまめにご相談にのっていただき、本当に感謝申し上げます。」
これぞまさしく親力。言葉の力。
これは(部外者の)私ではできません。
事情の裏を知り、当人の気持ちを静める形で納得させ、謝るべきは謝る。
これらが必要なのです。
これも親が果たせる大切な役割です。