Kさんは強い対人恐怖と極端に低い自己肯定感を持っていました。

特に「勉強できないとバカにされ、『おまえはこの学校にいらない』と思われる」という見捨てられ不安で、中1から不登校でした。

お父上がKさんを連れて3件の医療機関と1件の民間団体に通いますが、全く改善されませんでした。

そこでお父上は「不登校セラピーなら・・・」と一縷の望みを託して、連絡を取ってこられました。

(左が新井、右がお父上)

1. Kさんが不登校になった経緯

大学まである名門女子校に在籍。小6から頭痛や腹痛を訴えるようになる。中1の10月末から急に学校を休みがちになり、11月からは全くいけなくなった。最も重要なことは母の自己肯定感の低さでした。

以下父よりいただいた文面です。

***
母は結婚してクソババー(自分の父方の祖母)を殺してやりたいなどと言って泣き出す事がよくあった。
そしてお母さん(母の母、つまり祖母)がかわいそうと言いながら私の事(父親)を包丁などで責めてくる。
そのうち「誰でもいいから殺してくる」といいながら包丁をもって外へ出ようとする。

しかし調子がいい時は特に問題なく、子供がお互い早く欲しいと思い過ごす。

結婚して3年が過ぎた頃にやっと身ごもる。一人目が出来て約3ヶ月で子供に対する暴力が始まる。子供の体中につねった後のあざが絶えなかった。

子供を産んだ病院で相談しベビーシッターを紹介してもらい、父親が仕事でいない時は子供の世話をしてもらう。

2人目(Kさん)がお腹にできた時は母親はカウンセリングも受けておりその時、本当は本人の母親の事が嫌いだった事に気付く。次の日、自殺未遂。

子供とのスキンシップに関してはほとんど無し。2人目もしばらくして、つねった痕が出来る。

父親は仕事で週に3,4日は家を空ける。家にいる時はほとんど子供の世話をする。
しかし母親の調子が悪く虐待などの危険を感じると、子供を外に連れ出しご飯を食べさせたりホテルのお風呂に入れたりする。

母方祖父(母の父)は母に暴力、虐待を繰り返していた。

母方祖母(母の母)はそれを見て見ぬ振り。というより、それを誘導していたふしも見られる。母方祖母は暴力はしていないが、言葉では母に相当ひどい言葉を浴びせ、ものすごく冷たい態度をとっていた。

母は子供たちに対して、「私もこうされてきたから」と、家族に対する言葉を含む暴力が止まらない。

子供たちは2人とも学校が大好きだが、母からの言葉の暴力が激しく、学校を辞めるよう促されたり、包丁で脅されたりしている。

・・・

母の心の問題(母方祖母に対する意識)が、100パーセントとはいかないにしても解決しないと、子供の問題は解決しないと思います。

恐らく一時的に学校に行ったとしても家庭環境が変わらない限り、また子供たちに不登校もしくは別の問題が起こると思われます。

私(父)も色んな方に助けを求め相談して参りましたが、妻の話を聞いた途端、ほとんどの方が“夫婦関係の問題だ”と判断し、そちらの方向でカウンセリングを進めようとしてしまいます。

そしてその後、母親がどういう反応を示すかと言いますと、「やっぱりこの先生は何もわかってない」と言って、カウンセリングを受けなくなってしまいます。

私に対する不満を言いますが、それはあくまでうわべだけの話で、妻も自分の過去をあまり話したくないが故、話を反らすため言うだけの事です。

ただ話したくないと言っても自分の事をなんとかしたいと思っているのは事実です。
私の言う事を100パーセント信じていただきたいです。
子供たちも苦しんでいます。

この家庭にある問題はただひとつ、妻の自分の母親に対する意識、これだけです。
妻の事が嫌いでこういう事を書いているのではありません。
そうであれば20年も一緒にいません。

この家族4人はみんな愛情に溢れていると思います。
しかし家族4人がこの問題で苦しんでいます。

 

2.Kさんの不登校の引き金

中1になっての引き金は2つある。

まずは授業参観。
授業参観での数学で、Kさんは先生に当てられたが答えられず、そのときものすごく生徒と親の目を気にした。

もう一つはテストの返却。
クラスメートに答案用紙を見られて、「こんな点数しかとれないの?」「こんな成績の人はこの名門学校にいらない」と思われるのではないか、と言う不安がわいてくる。この不安で、10月頃には耐えられなくなり、不登校となった。

 

3. 不登校の解決のカギ「対人恐怖の解除」

Kさんは生まれる前から母の虐待を受けている。非常に強い母の言葉と暴力を受け続けており、極端に強い回避性対人恐怖、極端に低い自己肯定感に苦しめられていた。

強迫観念と劣等感と自己否定の塊のような子。

母自身もひどい虐待を受けて育っており、連鎖を断つため別居に入った。

 

父がKさんを連れてカウンセリングを始めたが、かなり困難だった。

ありとあらゆる自己肯定感の低さの中から、最初にカウンセリングで取り組む問題点として次を選んだ。

「勉強できないと相手にされず独りになる。相手にされても勉強できないと見下される。
でも自分は勉強できないし、初めての人とうまく話せない。
だから学校に行くと一人になるか、見下されるから、怖くて行けない。」

従来の心理療法を駆使した言葉がけで、この不安と強迫観念の打ち消しを試みたが、全く歯が立たず。

そこで考え方を変えて、
小中の学校での人間関係と具体的なエピソード、
家庭での母の言葉がけと考え方を徹底的に整理していった。

ここに相当な時間をかけて調べた。
単なる妄想(嫌われる)と思われるものはロジックで否定していく。

最終的にたどり着いたのは
「自分の答案用紙を、クラスメートに真顔で見られると、私を見下してるんじゃないかと思ってしまう。」
という不安だった。

つまりクラスメートが答案用紙を真顔で見て黙るのは、Kさんにとって
「あたしのことが嫌い」「しゃべりたくない」
と感じるのだった。

さらに目線が合うと、
「あたしのこと嫌ってる。」「“全然勉強できない”とか、何か言われているんじゃないか。」
とまで思ってしまう。

この不安によって不登校になっていたのだった。

ではこの不安の原因は一体何だったのか?

それが勉強に対する母の怒りだった。
その怒りは主に2つあった。

1 家でKさんの答案を見ているときの、母の表情や反応

⇒不機嫌な真顔で数分黙って、その後
「なんで間違えるの!」
と怒り出す。

2 普段の勉強でKさんがわからず時間を食う

⇒不機嫌な真顔で数分黙って、その後
「なんでそんな問題もわからないの?」
「いつまで時間かかるの!」
と怒り出す。

つまり間違えたり時間がかかるとママが真顔で黙り、怒る。この時ママは「あなたは恥しい、ジャマ」と思っていたとKさんには感じられた。(これが毎度毎度のパターンで、小1~小6まで続けられた。)

これがつまり、「見下され独りになる」というKさんの不安の原因。
この不安を生む流れが、6年間心に焼き付けられ続けた。

ではママが怒らない(Kさんを必要とする)点数はというと、「平均点以上」。

小学校の時は、平均以上は取れていなかったが、答案用紙はすぐ隠していた(のでクラスでは見られない)。ところが中学では、数学の授業で当てられ、答えられず、数分間みんなが真顔で黙っている状況が生まれた。

さらに、中学から外部入学の子は成績がよく(Kさんは内部進学)、クラス平均が上がり、自分の点との差があると「もし自分の点を知られたらどう思われるんだろう」と焦った。

つまり、勉強できないと
⇒見下される
⇒こんな成績の子はこの学校に必要ないと思われる
⇒この学校にジャマな子だと思われる

このように不安の連鎖が生まれる。
これが母が伝えてきたことと同じになる。

Kさんは「この学校にジャマだ」と思われることに耐えられなくなり、学校へ行けなくなった。

 

ここまで徹底的に解明して、次のような解除の言葉を作った。

「『なんで間違えるの!』も、『いつまでかかるの!』も、もう気にしなくていい。
なぜなら
ママはもういないので、テストの点が良くても悪くても再び言われる事は絶対ない。

ママは虐待を受け、手がかかったり何かをミスするとひどく怒られたり暴力を振るわれていたので、間違えることや時間をかけることに恐怖を覚えていた(完璧主義)。

だから我が子が、「学校で間違える、時間をかける、平均以下」だと、学校からあるいは他人から「いらない、邪魔者扱いされる」という強い不安を持っていた。

 

しかしこれは虐待を受けて育った人特有の、妄想に近い特殊な思考パターン。
根拠がない。
単なるママの妄想。
根拠も証拠もない、単なる不安。

だからこれはI家(母方実家)の特殊な事情である。
一般のほとんどの人は、「できないならいらない」なんてそんな極端なことを考えている人はいない。

I家とママのことはもう過ぎ去ったこと。
もう気にしなくていい。」

 

この解除の言葉によってKさんの「勉強できないと相手にされず独りになる。相手にされても勉強できないと見下される」不安は半減。

さらに父よりこう教えられた。

「Kの様子ですが先生のおかげで少しずつ状況が良くなっているように感じます。
以前は、『高校行きたいけど…もうムリかも・・・』でしたが、

○○(進学先の通信制)について本人から
『次、(見学会など)いつ行けばいいの?』と聞いてきたり、
○○について『もう大丈夫かも。』という言葉も出てきました。」

 

次に取り組んだのは、「人の真顔が怖い」ことだった。

これも徹底的に解明した結果、小6の学級懇談会から帰ってきて荒れてKさんに怒鳴った母の表情に原因があることが判明。

この表情が伝えるメッセージを深掘りし解読しているうちに、「真顔への恐怖」は消滅してしまった。

 

4. カウンセリング後Kさんはどうなったのか?

そこからはKさんはとても改善、通信制高校に高1から週5日通学の状態で通えるようになった。

さらに英語圏へ1年間留学。
英語の実力を身につけ、帰国。

それ以降、紆余曲折はあったが、今は大学生となり、自分の夢に向かってキャンパスライフを謳歌している。

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